2018.07.09社員ブログ

ポスター製造スタッフ【成井の目】○○の神様

おはようございます。
製造・成井です。

2018サッカーワールドカップもいよいよ大詰め。
先日の日本VSベルギーの試合を見て、そして試合後の西野監督のインタビュー
「我々には何かが足りなかったのでしょう・・・・」を聞いて思い出した本の内容を少々・・・

聖書には、
「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。
 捜しなさい。そうすれば見出すであろう。
 叩きなさい。そうすれば開かれるであろう」と記されています。

でもこの言葉には、求めたそのものが与えられると約束されていませんし、
捜したそのものが見つかるとも約束されていません。

むしろ、その後の文章に、
「子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
 また、卵を求めているのに、さそりを与える者がいるだろうか。
 このように、あなたたちは悪い者であっても、
 自分の子どもたちには、良いものを与えることを知っている。
 まして、天の父が、求める者に聖霊をくださらないことがあろうか」
と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」何かをくださる可能性があることが示唆されています。

神様に祈ることは大切なことです。
しかしながら「願う前に、その必要とするものを知っておられる」天の父は、
人間が願ったことをそのまま叶えることをもって、
ご自分の、その人に対する愛の証しとはなさらないようなのです。

なぜならば、私たちはいつも、「欲しいもの」を願っているからであり、
神様が私たちに叶えてくださるものは、「必要なもの」だからだと思います。

「どんな時でも人は笑顔になれる」渡辺 和子
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神様は「求めているもの」を与えてくれるわけではない、
私達が「欲しいと願ったもの」を与えてくれるのではないようです。

私達に必要なものを、必要なタイミングで、
まるで気付かせるかのように、わざわざ用意したかのような計らいがあります。

身近な例ですと、親の立場なら・・・
子どもが食べたい!と言ったものを全て出したらお菓子だらけになってしまうかもしれません。
親なら、子どもが食べたいものもいいけど、子どもの成長に必要な食べ物を出します。

おもちゃやゲームが欲しいと言ったからって、ホイホイ買い与えませんよね?
そのお金に使うのなら、塾やクラブに入れたいと思うのが親の心だと思います。
子どもにすれば、そのときは気づかなくても、時が経ち成長したら分かることですね。

今回のワールドカップの決勝トーナメント、日本初のベスト8進出を願い、
下馬評でも格段に強いベルギーをギリギリまで追い詰めたけど負けてしまいました。

でも選手達にとっても、サポーター達にとっても、
負けたことで気づいた様々なことが、
サッカーの神様が与えてくれた【必要なこと】であった・・・と思います。

悲しみも苦しみも汗も涙も、きっと次に繋がる意味がある!
そう感じた名勝負であり、監督の発言でしたが
皆さんの心には何が残りましたでしょうか・・・。

今日も毛が無く、否、怪我無く!
(ニワカがエラソーに語ってスイマセン・・・・)